七年に一度の盛儀|元善光寺御開帳特集

本堂前に建てられている五メートルほどの柱を「回向柱(えこうばしら)」といいます。 本堂内の前立本尊の右手に結ばれた金の糸が、五色の善の綱へと形をかえて、回向柱までつなげられています。 この柱に触れると、ご本尊に触れたのと同じご利益を授かり、善光寺如来と直接縁を結ぶことができます。

柱には「一光三尊阿弥陀如来」を示す梵字(古代インドの言葉)が書かれている

御開帳は、4~6月の3ヶ月間開催されますが、その中で一番にぎわうのは、中日大法要(ちゅうにちだいほうよう)の日です。 色とりどりの衣装をまとった子どもたちが歩く「稚児(ちご)行列」に始まり、本堂前で庭儀(ていぎ)法要が行われます。

 

本堂内陣の右側には約五百年前の木彫の涅槃像(ねはんぞう)が、左側には元善光寺の開基、本多善光公の像がそれぞれ安置されています。本堂の真下にあるのが「お戒壇(かいだん)巡り」。真っ暗な通路を手探りで進み、瑠璃壇(るりだん)の下、ご本尊の厨子からつながる柱に触れることでご本尊と縁を結ぶことができます。

本堂からつながる宝物殿では、千四百年の歴史ある名刹にふさわしい展示品が見られます。 ご本尊を安置した後に光り輝いた「座光(ざこう)の臼」や、奈良時代の東山道(とうさんどう)で使われていた「駅鈴(えきれい)」といった歴史ある宝物をはじめ、全国的に珍しい江戸時代に作られた「涅槃像(木彫)」や、江戸初期の絵師、狩野安信の「大日如来図」など、八十点余りが展示されています。

宝物殿から奥へとつながる平和殿は、間口十二間、奥行七間半の建物で、戦後まもない昭和二十九(一九五四)年に建てられました。 戦争で亡くなった英霊を祀って「平和殿」と名づけられ、室内正面には、昭和天皇の皇后、香淳皇后の兄にあたる久迩宮朝融王殿下(くにのみやあさあきらおうでんか)の揮毫による額が掲げられています。 毎年、春の御彼岸に慰霊祭が行われます。

現在は長野市の善光寺に納められているご本尊が、元善光寺に祀られていた時にご本尊を祀る台座となっていた臼。 仏像を祀った本多善光公は、臼の上に仏像を安置して朝晩の供養を欠かしませんでした。 そして、長野市の善光寺へご本尊を移した後、臼が光り輝いたと言い伝えられ、以来、「座光の臼」と呼ばれています。 元善光寺周辺の「座光寺」という地名は、この臼からつけられました。

西国三十三ヶ所札所の観世音菩薩特別参拝とお砂踏み 西国三十三ヶ所とは、近畿地方と岐阜県に点在する観音霊場の総称です。 一番から三十三番の札所を巡礼した後に元善光寺へお礼参りをすることから、御開帳期間中に各札所の観世音菩薩の特別参拝が行われます。 「お砂踏み」とは、各札所の観世音菩薩の前にその土地の砂を敷き、一番から三十三番まで巡礼することで、現地を巡礼するのと同じご利益に授かれるというものです。これらは、英霊を祀る平和殿で行われます。