七年に一度の盛儀|元善光寺御開帳特集

元善光寺は、今から一四〇〇年ほど前、推古天皇十(六〇一)年に本多善光(ほんだよしみつ)公が建立したお寺です。国司のお供で奈良の都へ出かけた善光が、難波(現在の大阪府)の堀に沈んでいた一光三尊の仏像を拾い、如来のお告げに従って信州麻績(おみ)の里(現在の長野県飯田市)の自宅へ持ち帰ったのが始まりといわれています。  その後、ふたたび如来のお告げによって、仏像が長野に移されることになった際、善光は、自分の名前をとって新しいお寺を「善光寺」、麻績の里に元々あったお寺を「元善光寺」と名づけました。  善光寺縁起には、長野市の善光寺のご本尊は「えんぶだごん」という金属でできていると記されています。元善光寺のご本尊は、善光が木彫で同じ形の像を作り残したといわれていますが、どちらも秘仏のため、見たことのある人はいません。

これは、長野市の善光寺だけ、または飯田市の元善光寺だけのお詣りでは「片詣り」となってしまい、両方お詣りしないとご利益がないということが古来より言い云えとして残されています。
長野へ移ることが決まったご本尊が、仏勅(ぶっちょく)で「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰りきて衆生を化益せん」とのご誓願を残されたと伝えられ、ご詠歌にも「月半ばごとに来まさん弥陀如来 誓いぞ残る麻績の古里」と詠われています。

元善光寺の参詣が済んだら、ちょっと足をのばして隣の麻績神社へ行ってみませんか。参道横から続く約百メートル、田んぼの間を遊歩道がつながっています。
終点の麻績神社は、樹齢約350年の半八重枝垂れ紅彼岸桜、通称「麻績の里舞台桜」で有名です。桜の季節には、地域の小学生による「こども"桜"ガイド」が毎年、好評を博しています。
また、舞台桜が寄り添っているのは、旧座光寺小学校(旧座光寺麻績学校校舎)です。明治六(一八七三)年に建てられた長野県最古の学校建造物で、歌舞伎舞台と学校校舎が兼用になっている珍しい造りから長野県の県宝に指定されています。