~ふるさと再発見の旅~
地元ガイドがご案内いたしますので、知っているようで知らなかった南信州の魅力を発見できます!
中世文書(鎌倉~安土桃山時代)は現在まで残る事は稀で、大変貴重な文化財といえます。
専門ガイドの案内で、武田信玄、織田信忠(信玄嫡子)、徳川家康など錚々たる戦国武将が
この地に残した貴重な書状をご覧いただき、その価値や内容に迫ります。また戦国動乱を生き抜いた
南信州の国衆の書状も必見です!

瑠璃寺(武田信玄書状)
瑠璃寺は天台宗の名刹で、比叡山延暦寺の高僧が滞在した折、同じく天台宗の僧侶でもあった
武田信玄は、この高僧に書状を送り、そのため同寺に信玄の貴重な書状が残りました。
同寺の本尊で重要文化財の薬師三尊像も特別に拝観します。

高森町歴史民俗資料館(市田郷領主・松岡氏書状を拝見)
松岡氏は市田郷を収めた有力国衆ですが、徳川家康に従いながらも些細なことで改易となりました。
松岡氏最後の領主・松岡貞利が家臣に領地を与えた文書で、南信州の国衆の姿が垣間見られる
貴重な史料です。
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喬木村歴史民俗資料館(徳川家康書状、正親町天皇口宣案)
徳川家康が知久頼氏に本領(6,000貫文)を安堵した文書で、領地の内訳が細かく記されています。
家康直筆の花押が入った本書です!また、織田信長と対立関係にあった正親町天皇が知久頼氏を
「従四位下」に任じた文書「口宣案(くぜんあん)」も必見です!
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興禅寺(織田信忠禁制)
天正10年(1582)織田信長は嫡男の織田信忠を甲州征伐の先陣として伊那谷に攻め込ませました。
その際に伊那谷の名所に織田信忠や信長自身が発行した「禁制」が数点だけ残っており、
今回拝見する興禅寺に残された禁制は大変貴重です。
ココロファームでランチ
人気のランチメニューを新鮮・採れ立ての野菜バイキングとともにゆっくりとご賞味ください。
龍嶽寺(下條村。徳川家康文書15点を拝見)
「本能寺の変」後に信濃国に侵攻した徳川家康は、下條氏を伊那谷の旗頭として頼りました。
そのため、下條氏の菩薩寺である龍嶽寺には徳川家康が下條頼安や下條牛千代に送った貴重な
書状が多く残されています。そこには、石川数正の徳川家からの出奔など歴史事件に関わる記事が
記されています!
飯田市美術博物館(長野県宝 平沢文書の見学と講義)
同美術博物館には、長野県宝 平沢文書(飯田市歴史研究所所蔵)が保管されています。
3,800点を数える膨大な文書史料の中から、戦国時代に記された武田朱印状、
知久氏や下條氏など国衆の文書などをご覧いただきます。併せて飯田市の「宝」である
平沢文書について専門家の方から詳細を伺います。
■詳細パンフレットはこちら→ふるさと再発見の旅(№18~21)
日 時
2022年11月16日(水) りんごの里(飯田市)発着 日帰りツアー
旅行代金
14,800円(お一人様・税込)
定 員
18名(最小催行人数10名)※先着順
行 程
りんごの里(8:15)→瑠璃寺(武田信玄書状)→高森町資料館(松岡氏書状)→
喬木村資料館(徳川家康書状、正親町天皇口宣案)→興禅寺(織田信忠禁制)→
ココロファーム(昼食)→龍嶽寺(徳川家康書状)→飯田市美術博物館
(武田朱印状、知久氏・下條氏書状※長野県宝平沢文書)→りんごの里(16:30)
お申込み
令和4年10月31日(月)までに、南信州観光公社のFAX・ホームページからお申込みください。
※先着順
お問い合わせ
㈱南信州観光公社
住所:長野県飯田市育良町1-2-1(りんごの里)
TEL:0265-28-1747
FAX:0265-28-1748
HP:https://www.mstb.jp/
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