阿智神社 この神社は、奥宮と前宮が あり、平安時代に編纂さ れた延喜式神名帳に載せ られている、俗に式内社と いわれる古社です。祭神に この地に天降った天思兼 命(あめのおもいかねのみ こと)が祀られております。
住吉様が祀ってある境内に は、樹齢二千年以上ともいわ れている栃や杉の巨木があり ます。神域には、磐座ともい われる「日本武尊の腰掛石」 があり、園原の里の来歴を万 葉仮名で刻んだ「園原碑」、 万葉集防人の歌を刻んだ万 葉歌碑などもあります。
社伝によると、慶長6年(1601)2月、小笠原兵部太夫秀政が飯田5万石に封じられた際、飯田城の鬼門にあたる破魔射場(現在 浜井場)の藤山(ふじやま)に、災難除の意味も込め、崇敬する稲荷大神を祀ったのが始まりであるといわれています。
約600年程前、京都の金閣寺と同じ頃の建立と言われる。石段の数253段は飯田地方一番である。
飯田城を移転し築いた阪西氏の元城跡である。境内にある飯田地方最古の桜(樹齢750年)が有名。中には小さな末広神社がある。
飯田城の本丸跡に建っている。社には飯田城主の堀秀政・親昌・親長の三人が祀られている。
内大宮通りの端緒にあり、隣には長久寺がある。美しい隋身門、66段の石段、杉の大木、石碑など見所も多い。
近衛天皇(1147年)の創建と言われている。中世の領主阪西氏が守護神とした。境内には水戸浪士や富岡鉄斎等の碑が数多い
いつの頃からか学問の神様として信奉を集め、受験前に参拝すると必ず合格するといわれます。社は険しい山の頂上付近にあり「竜頭付きの石釣鐘」が置かれているので別名’釣鐘様’とも呼ばれています。
明治41年「神社合祀令」により満島地区の6社が合併して満島神社となりました。主祭神の天照皇大神をはじめ、諏訪大明神、八幡様、稲荷様、巳(蛇)の神、馬頭観音が祀られています。
「誉田別命」を祀った八幡神社と「建御名方命」を祀った摂社諏訪神社。建造の年代は永正三年頃と推定される。
諏訪社本殿(1間社流造)、若宮八幡宮本殿(2間社流造)の二社を祀る。室町時代に遡る同時期建立の神社が二棟並行しており、価値が高く、全体に風蝕がなく、当初から覆屋によって保存されていたものと考えられ、現履物と共に重要文化財に指定された。