タグ:文化財
飯田市山本にある木造校舎。国登録有形文化財。昭和24年に山本中学校として建築。昭和60年、中学校の統合により廃校となる。廃校後は地元住民によって整備がおこなわれ、映画『母べえ』(2007年)などのロケ地としても使用されました。春になると、校舎前の枝垂れ桜を見に多くの人が訪れます。
飯田市山本にある木造校舎。国登録有形文化財。昭和24年に山本中学校として建築。昭和60年、中学校の統合により廃校となる。廃校後は地元住民によって整備がおこなわれ、映画『母べえ』(2007年)などのロケ地としても使用されました。春になると、校舎前の枝垂れ桜を見に多くの人が訪れます。
関ケ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)旧領のうち阿島・田村・河野・南原及び虎岩の一部3,000石の旗本として復帰した知久則直は、3年ががりでここに館を築きました。
関ケ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)旧領のうち阿島・田村・河野・南原及び虎岩の一部3,000石の旗本として復帰した知久則直は、3年ががりでここに館を築きました。
江戸時代・宝暦4年に上棟された建物。飯田城唯一の遺構となっています。全体がベニカラで赤く塗られているため、赤門と呼ばれています。
江戸時代・宝暦4年に上棟された建物。飯田城唯一の遺構となっています。全体がベニカラで赤く塗られているため、赤門と呼ばれています。
明治6年、学校と歌舞伎舞台を兼用するように建てられました。学校建物としては、県下で最も古いものです。(長野県宝)
明治6年、学校と歌舞伎舞台を兼用するように建てられました。学校建物としては、県下で最も古いものです。(長野県宝)
飯田測候所は1922(大正11)年に竣工され、2002(平成14)年に市内高羽町へ移転するまで、飯田地域の気象観測の拠点として活用されました。飯田市においては、1947(昭和22)年に発生した飯田大火の被害を免れた貴重な建築物。2012年には登録有形文化財として登録されました。長野県に残る唯一の大正期の測候所の建物で、我が国の気象観測の歴史を知る上で貴重な建築といえます。地震計室及び資料室は見学自由。
建物の概要:
正面間口10間半、奥行6間余の規模の、木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺の建物で、棟の中央部に塔屋をのせています。正面に切妻破風と車寄せの切妻屋根を重ね、車寄せの屋根には照り起りをつけています。車寄せの持送、切妻破風の表現、軒の持送などにはセセッションの様式が用いられています。
飯田測候所は1922(大正11)年に竣工され、2002(平成14)年に市内高羽町へ移転するまで、飯田地域の気象観測の拠点として活用されました。飯田市においては、1947(昭和22)年に発生した飯田大火の被害を免れた貴重な建築物。2012年には登録有形文化財として登録されました。長野県に残る唯一の大正期の測候所の建物で、我が国の気象観測の歴史を知る上で貴重な建築といえます。地震計室及び資料室は見学自由。
建物の概要:
正面間口10間半、奥行6間余の規模の、木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺の建物で、棟の中央部に塔屋をのせています。正面に切妻破風と車寄せの切妻屋根を重ね、車寄せの屋根には照り起りをつけています。車寄せの持送、切妻破風の表現、軒の持送などにはセセッションの様式が用いられています。