~ふるさと再発見の旅~
地元ガイドがご案内しますので、知っているようで知らなかった南信州の魅力を発見できます!
天正10年(1582年)、織田信長は甲斐の武田勝頼討伐のため、嫡子の織田信忠を先陣として
伊那谷に侵攻させました。織田勢は、飯田城、伊那大島城、飯島城を経て、陣城として
「一夜の城」を築き、武田信玄五男の仁科五郎盛信が死守する決戦の地・高遠城へ攻め登りました。
~伊那大島城跡~
伊那大島城は、武田氏が伊那谷支配や三河・遠州方面の織田・徳川勢に対する押さえとして
重要視した城郭で、三日月堀など武田流縄張りの痕跡を良くとどめています。
しかし、織田信忠の伊那谷侵攻時は、主将格で信玄の弟である武田信廉が自ら逃げ落ち、
城は自落しました。
~飯島城跡~
飯島城跡は、信濃源氏である片切氏の分流である飯島氏の居城です。飯島氏は、
惣領家である片切氏をもしのぐ勢力を張った一族で、飯島城跡の広大な領域からは
その勢力の大きさが偲ばれます。
島小caféにて人気のランチメニュー
駒ケ根市中沢にある蔵をリノベした隠れ家的な雰囲気のお店です。
人気のランチメニューをゆったりお召し上がりいただきます。
一夜の城~伊那市富県~
伊那市富県の貝沼地区には、「一夜の城」と呼ばれる土塁で囲まれた方形の城(館?)が
残っています。この「一夜の城」は、織田信忠が高遠城侵略のため一夜で築いた陣城であると
従来から考えられてきました。しかし、昨今の発掘の結果、従来とは違った城の性格が浮かび
上がってきました。地元専門家の案内でその真相に迫ります。
~高遠城跡と高遠町歴史博物館~
伊那谷で織田信忠軍に真っ向から抵抗したのは、武田信玄五男の仁科五郎盛信が死守する
高遠城のみでした。秋深まる高遠城跡を訪れ、仁科五郎盛信と織田軍の攻防の様子を詳しく
伺います。高遠町歴史博物館では、学芸員の案内で高遠城の攻防を描いた絵図や貴重な文化財を
ご覧いただきます。
■詳細パンフレットはこちら→ふるさと再発見の旅(№18~21)
日 時
2022年11月27日(日) りんごの里発着 日帰りツアー
旅行代金
15,500円(お一人様・税込)
定 員
18名(最小催行人数10名)※先着順
行 程
りんごの里(8:15)→伊那大島城跡(織田勢の攻撃前に武田信廉など自落)→飯島城跡
(飯島氏居城※城山地区)→島小café(隠れ家的な店内にて人気のランチメニューを)
→一夜の城(高遠城攻撃を前に織田勢が一夜で築いた城)→高遠城跡(仁科五郎信盛、
徹底抗戦の城)→高遠町歴史博物館→りんごの里(17:30)
お申込み
令和4年11月11日(金)までに、南信州観光公社のFAX・ホームページからお申込みください。
※先着順
お問い合わせ
㈱南信州観光公社
住所:長野県飯田市育良町1-2-1(りんごの里)
TEL:0265-258-1747
FAX:0265-28-1748
HP:https://www.mstb.jp/