【ナビ記者通信】熊谷元一写真童画館

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元一は(もといち)と読みます。暫く前までですが、私は恥ずかしながら(げんいち)と読んでいました^^; 写真家であり童画家としてもよく知られた方ですね。二足のわらじとよく言いますが、小学校の先生でもありました。ですから、三足のわらじを履きこなした人生と言えますね。

1909年7月12日に阿智村で生まれ、 2010年11月6日に武蔵野市の老人施設で亡くなられました。101歳でした。

昭和30年に、『一年生 ある小学教師の記録』(岩波書店)により、第1回毎日写真賞を受賞。これによって一躍写真家として注目されるようになりましたが、相変わらず先生は続けていました。

昭和41年、教師退職を機に、清瀬市に転居しました。なぜ阿智を離れたのでしょうか?

平成6年には、毎日出版文化賞、また地域文化功労者として文部大臣の表彰を受けました。

昭和63年に阿智村は「ふるさと童画写真館」を建設し(のち「熊谷元一写真童画館」に改称)、熊谷元一本人から寄贈を受けた写真作品(約50000点)の紹介を行っています。⇒熊谷元一写真童画館
という事で私も行ってみました^^

受付は保存会のボランティアの方々が交代で行っているとの事でした。

館内は基本撮影禁止なのですが、今回は特別に許可してくださいました^^

展示室に入ると、愛用のカメラも展示してあります。一眼レフは、アサヒペンタックスです。

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数々の受賞を物語る賞状なども展示してあります。

その裏側には第1回毎日写真賞の受賞作『一年生 ある小学教師の記録』に使われた写真の数々。

子供たちの日々の情景が写されています。

表情が良いですね~!カメラを意識させないで撮る、常に生徒の身近に居る先生ならではですね。

シャッターチャンスも素晴らしい。桜をバックにブランコの少女、決まってますね!

これも良いタイミング。一見ボケている様にも見えますが、ピンボケではありません。男の子が動いてブレているのです。教室内ですから、シャッタースピードは1/30秒以下でしょう。それが返って臨場感を生んでいますね。この後はどうなったんでしょう^^

今回は三六災害を記録した特別展がありました。

地元の阿智村だけではなく、被害が大きかった川路や大鹿村も写されていました。川路には商店街があったんですね。知らなかった。

大鹿村は大西山の崩壊で大きな被害が出ました。

今は整備されて大西公園となり、桜の名所になっています。高台からは大西観音が町を見守っています。

それにしても当時よく大鹿まで行ったものだと感心してしまいました。道路も寸断されていたと思います。館の方は、自転車で行ったのではないか?と想像されていました。それにしても報道関係者なら頷けますが、学校の先生がです。私には何となく分かる気がします。カメラを使う人間としてこの惨事は記録しておかなければ、と思ったのでしょう。
実は当時中学生だった私も、近所の撮影をしています。残念ながらフィルムは残っていません。プリントも僅かです。撮影している私を見た当事者の方に「この馬鹿小僧、写真なんか撮ってる場合か!」と怒鳴られてしまいました。その時今宮町で撮った写真ですが、本邦初公開です^^;36災害 128懐かしい情景の写真もありました。昔の台所はこのようなカマドでしたね。

2階には童画が展示されています。

制作に使った筆や絵の具類も展示されています。

柿の皮むきも懐かしさを感じます。昔の我が家にも数本の柿の木があって、似たような作業をしていました。これほど大規模ではありませんが^^;

このようなシーンもあまり見かけなくなりましたね。昔は飯田でも豚を飼っている農家が多かったのですが!

この「いろりばた」の絵はどこかで見たような気がしました。

帰ってから記憶を頼りにファイルを探してみると、ありました^^今宮半平の五平餅の包装紙ですが、似た絵が使われていました。

こちらは阿智村中央公民館の椴帳のために描かれた原画です。500人収容のホールです。緞帳のサイズは、縦3.6m × 横11m の大きさ。制作は京都の織物業者でした。

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100歳の時描いて遺作となった色紙です。絵のタッチは衰えていませんね。

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何処に展示してあるかは、熊谷元一写真童画館へ行って探してみましょう^^

作品はここで紹介した物が全てではありません。「熊谷元一写真童画館」、昼神温泉を訪れたら是非お立ち寄りください。今はホールに雛人形が飾られています。

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昼神温泉ひな祭りは 4/3 までです。

(3/18 撮 ナビ記者)

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