南信州日記

【ナビ記者通信】飯田のラーメン物語

作成日:2024年11月1日

飯田の老舗ラーメンと言えば、上海楼と新京亭でしょうか。こう言うと、いや、此処もあそこもと言う方も居るかと思いますが、私の個人的な見解という事で。それにどちらも昼時には行列の出来る店ですからね。昔ながらの中華そば、というスタイルです。

上海楼を始めたのは、中国から来た人との事。戦後間もなくかと思います。此処へ通って来る兄弟が居ました。店員というか修行というか。しかも下條村からオートバイで。これには驚きです。当時の道路は今と違って舗装などしてありません。しかも下條からとなると、阿智川の谷を渡らなければなりません。今は大きな長い橋で谷を一跨ぎですが、昔はそうはいきません。くねくねと曲がりくねった道を下り、短い橋を渡ります。そして今度は対岸の道を登らなければなりません。

中国人のオーナーが引退を考えた際、店は兄の方に任せました。弟の方は後年飯田駅前に「新京亭」を構えました。つまり二軒は兄弟同士。本家と別家になる訳ですね。味が似ているのは当然です。今の上海楼は移転して銀座通りに在ります。

上海楼を知ったのは高校の頃。店の近所に同期生が何人かいたのです。中にはもう顔なじみが居て、「2階は空いている?」と言って2階の部屋へ。食べた後はそのまま自宅の部屋の如くゴロゴロ。今では考えられませんね。当時は銀座通りの裏通り、写真館の奥側でした。

銀座へ出たのはいつ頃か。県外から戻った時には、銀座へ出ていました。並、半、大とありますが、私的には半が普通。並は大盛りに感じます。写真は半です。

私が新京亭へ行ったのはいつ頃でしょう?駅前に店を出したのは昭和42年との事ですから、店へ行く様になったのは東京から帰省した折でしょう。地下があって、私のお気に入りはそちらでしたね。
今は中央通り4丁目の路地、八十二銀行駐車場入り口の前に綺麗な店を構えています。

上海楼で修業して店を出した方は他にも。下條に「東山食堂」がありますが此処もその店。ラーメン専門ではなく定食や丼物も出している店。でもラーメンは人気の様です。昼過ぎ13時前頃に行ったのですが、なかなかの賑わい。

ラーメンを注文してみました。飯田の店とはスープの色が違いますね。醤油の色が薄いのです。当然ですが、味が薄味という訳ではありません。味の方は・・・私の舌では違いはよく分かりませんが、似ていると思いました。

話を聞いてみると、先代は上海楼の支店で修業したとの事。確かに在りましたね。中央公民館と中電の中間程、桜並木沿いに支店がありました。何回か行った事もあります。今は「咲名」となっている辺りだったと思います。

市役所の近くに在る「東中軒」も、上海楼で修業した方だそうです。

ラーメンを食べてみましたが、上海楼とは全く別の味でした。

上郷に、新京亭支店があります。本店とは親戚関係だそうです。

味の方は、やはり本店と似ていますね。メニューを見ると、かつ丼やチャーハンも。ただお年寄りだけなので、夜の営業はもうやっていないとの事でした。

自宅から近いという事もあって、新京亭へ行く事が多いかな。ただそうチョイチョイという訳ではありませんが。この日も混んでいました。

ラーメンと揚げ餃子を注文。此処の餃子は一個単位でもOK。家内のお気に入りです。

ところで、私が初めて食べたラーメンはどちらでもありません。中央通り4丁目にあった「春木屋」です。初めて店で食べたのは此処で、幼稚園の頃でした。「食べても減らないよ~」と言いながら、必死で完食した記憶。この店のオーナーと父が友達だった縁です。

店の方ですが、中央通りから一時伝馬町に移転。更に元町に移動。長男が跡を継いで再び中央通りに店を出したのですが、間もなく病気で亡くなってしまいました。店もそれで終わったとの事。残念。

(ナビ記者①)

 

 

新着ニュース
注目情報